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これから、ドヴァーラヴァティーの都市遺跡を見ていきましょう。 タイ西部のドヴァーラヴァティーの都市、ラッブリです。6,7世紀のタイ湾は今よりもずっと内陸まで入っていました。ラッブリは当時のタイ湾の沿岸に位置していました。周囲を環濠と土塁で囲まれた都市が、ラッブリです。内部には方形プランのレンガつくりの仏塔があります。今では、ほとんど当時の建造物は残っていませんが、最近開館した博物館には、仏教寺院の内部を飾ったストウッコ像、石臼(カレーのルーを作ったのか、薬剤を作ったのか)、ガラス・ビーズなど、多雨のものが出土しています。 ラッブリの仏塔は、ドヴァーラヴァティーの一般的仏塔と同じように、方形プランで、一辺に階段がついています。現在では、ほとんどのかつてのイメージはありません。しかし、すごい規模の仏塔がたっていたことは明らかです。 博物館はみものです。 日本軍によるタイ・ビルマ鉄道でいつも日本が非難されるカンチャナブリと違い、観光客はまったくいません。ラッブリをぜひ訪れてください。 #
by dvaravati
| 2006-03-16 20:54
| 東南アジアの考古学
ドヴァラヴァテイーについて、お勉強するにはどうすればいいでしょう、という質問を学生さんから受けることがあります。日本では東南アジア考古学はマイナーな分野で、専門家も少なく、ちょっと質問、というわけにはいかないかもしれません。また日本語で書かれた本もほとんどないので、困ります。タイ語や英語の図書、論文はかなりあるのですが。 そこで、日本語で書かれた文献をご紹介します。 新田栄治 2005 ドヴァーラヴァテイーの都市と構造「東南アジア考古学会研究論集」第3号 東南アジア考古学会という学会の出版物に掲載されたものなので、ちょっと入手が難しいかもしれませんが、私にご連絡願えればなんとかなります。ドヴァーラヴァテイーの都市とその構造について空中写真を使って分析しています。 伊東利勝 2001 綿布と旭日銀貨 『岩波講座 東南アジア史』第1巻(岩波書店) 著者はビルマ史の専門家ですが、ビルマのピューという古代国家で流通し、東南アジア沿岸地域で流通した銀貨をテーマに、ドヴァーラヴァテイーについても言及しています。 石井米雄・桜井由躬雄編 1999『世界各国史 東南アジア(1)』(山川出版社) 東南アジア史の高名な研究者が編集した大陸部東南アジアの歴史です。 これらを手始めにして、読み進むといいでしょう。 先週のタイ旅行のさいに、セントラル・チトロム店のCD売り場で、ヨーヨーマのCDを買いました。バッハの無伴奏チェロ組曲2曲ののち、クラシックからピアソラまで、いろんな曲が入っています。こんなCDも、軽く聴くにはいいですね。 #
by dvaravati
| 2006-03-14 11:24
| 東南アジアの考古学
先週、タイに行ってきました。もう何十回となるでしょうか。今回はバンコクと近郊のみ。久しぶりのアユタヤに行きました。いつもは、バンコクからすぐに東北タイの調査地に出るので、アユタヤは素通りです。 アユタヤで好きなお寺は、アユタヤの島の北側外にあるワット・ナ・プラメーンです。この寺はビルマ軍のアユタヤ破壊のさいにも破壊されずに残った寺です。境内左手のお堂はアユタヤ建築の粋が見られ、とても美しい。またアユタヤ様式の仏像も多くのタイの人々の尊崇をうけています。でも、わたしがいつも籠もるのは、その右手にある小さなお堂です。ここにはすばらしいドヴァラヴァテイー仏が安置されているのです。 椅子に腰掛けた大石仏で、傑作といえます。どうしてドヴァラヴァテイー仏がここにあるかといえば、元はバンコクの西にある、ドヴァラヴァテイー王国の都と言われるナコンパトムで発見されたものを、この地に移したのです。 お堂の床に座って、仏像を見上げると、仏の目がちょうど参拝する人の視線と合うようになっています。お堂内壁には壁画が描かれています。かなり、消えかかってはいますが。 アユタヤにいらっしゃる機会があれば、ぜひ一度訪れてみるといいと思います。 #
by dvaravati
| 2006-03-13 12:03
| 東南アジアの考古学
大学生の息子に進められ、はじめてのブログを開きました。よろしくお願いいたします。私は東南アジア考古学の研究とバッハが大好きな人間です。 Dvaravatiとは? 東南アジアには1世紀末ころから古代国家が生まれてきます。そのなかでも、タイの湾岸一帯に6世紀ころから都市国家が現れてきます。これらの都市国家の連合体をDvaravati、ドヴァーラヴァテイー(タイでは、タワラワテイー、といいますが)といいます。 Dvaravatiの遺跡は、タイ湾の沿岸を中心に分布しているのですが、その文化的影響は、タイ湾沿岸地方だけでなく、チャオプラヤー河の流域に沿って北上し、ロブリーにまで達し、さらに東北タイに及んでいます。東北タイにはひじょうに多くのこの時代の遺跡が残っています。また、Dvaravatiを担ったといわれるモン人の一派は、ロブリーからさらに北の、チェンマイの南にあるランプンにまで達して、ここにも都市国家を築いています。 大規模な城壁、水を湛えた環濠で周囲を囲んだ大遺跡が多いのですが、内外に仏教関係の寺や仏像などが発見されるのがふつうです。ドヴァラヴァテイー仏は独特のスタイルをしていて、とても印象的な魅力があります。バンコク国立博物館にいらっしゃると、それらを見ることができます。ちじれた頭髪、大きな眼、厚い唇をもった仏像です。また、初期仏教の象徴である法輪(ダルマチャクラ)もあります。 ロゴ写真は東北タイ、ナコンラチャシマ郊外にあるムアン・セーマ遺跡の大涅槃仏像と私です。下はタイ湾東岸、プラチンブリにあるサ・モラコット遺跡の仏足です。 東南アジア考古学や遺跡、美術史に興味をお持ちの方々、バロック音楽、バッハが好きな方々、今後ともよろしくお願いいたします。 東南アジア考古学の話題を引き続きお話していきたいと思っています。 #
by dvaravati
| 2006-03-11 10:43
| 東南アジアの考古学
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